礼拝説教

2012年5月20日

「神の愛と御子による救い」
ヨハネの福音書3章16〜17節

 ヨハネの福音書3章16節は、「小福音書」と言われて、福音全体がこの一節に凝縮されています。この節の中に救いについての必要な事柄がみな含まれています。多くのクリスチャンはこの聖句を知っています。今日は特に二つのことに目を留めましょう。

 I.神は私たちを愛してくださった
 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」という短いことばから、神が、世のすべての人を愛してくださった、そして、今も愛しておられることがわかります。「世」の中にあなたも私も含まれていることに改めて驚き、感謝するものです。神の愛の大きさ、深さは、そのひとり子であるイエス・キリストを世に送ってくださったほどのものです。ご自身の愛する御子を世に送られるという決断をされたのは、神が私たち人間を心から愛し、救いの中に入れてくださろうとしたからに、ほかなりません。私たちの多くは、かつて神を知らず、神の愛を知らず、人間関係の中で悩みつつ生きてきましたが、神様が、この私を愛してくださっていることに目が開かれると、その生き方が変わります。人間の愛もすばらしいものですが、神の愛はそれ以上のもので、決して変るものではありません。いつまでも続きます。パウロが、Iコリント13章ではっきりと言っている通りです(8、13節)。私たちは、この神の愛を受け入れましょう。

 II. 私たちは御子によって救われる
 私たちが神の御子イエスを救い主と信じ、受け入れるなら、みな救われます。それは神が救いのご計画の中で定めたものです。その救いは、16節により「滅びることなく、永遠のいのちを持つ」ことであることがわかります。主イエスを信じる者は、決して滅びることがありません。みな天の御国に行けるのです。そのためには永遠のいのちを持たなければなりません。永遠のいのちは、私たちが目で見たり、手で触ったり、心で感じることはできませんが、神の約束ですから、その通り与えられていると信じれば良いのです。御父は主イエスによって私たちに救いを与えてくださいますが、それには大きな犠牲が伴います。それは、主イエスが十字架にかかって、死なれ、私たちの罪のための刑罰を受けてくださるという犠牲です。それを贖いと言います。「贖い」は買い戻し金のことです。私たちが支払うべき罪の刑罰を主イエスが身代わりとなって、受けてくださって、私たちを買い戻してくださいました。私たちはみな、この救いを受けられるのです(ローマ3:23〜24参照)。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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