礼拝説教

2012年6月10日

「 バプテスマのヨハネの喜び」
ヨハネの福音書3章22〜30節

 自分に与えられた使命をはっきりと自覚し、さまざまな試みや試練に耐えて、使命を全うできる人がいたら、すばらしいことです。実はバプテスマのヨハネは、自分に与えられた使命と自分が置かれている立場を自覚し、その通りに生きた人です。ヨハネについて具体的に見て行きましょう。

 I.自分の弟子たちがイエスのもとに行くのを喜んだ
 イエスの弟子たちの何人かは、もともとバプテスマのヨハネの弟子でした。例えばアンデレとペテロやヤコブとヨハネ(使徒)などです。彼らは、バプテスマのヨハネがイエスを指し示した時、イエスについて行って、イエスの弟子となったのです(1:35〜42参照)。それに対して、先生のヨハネは、弟子たちがイエスの所に行くのを止めないどころか、喜んだのです。さらに多くの人たちが、バプテスマを授けておられたイエスの方に行くのを認めたのです。それは「天から与えられる」もので、人々はそれを受け、神の導きのままにイエスの方に行ったのです(27節)。ヨハネの弟子たちは、多くの仲間が自分たちの先生のもとを去って、イエスの方に行くのをヤキモキしていました。しかしヨハネは、そのような行動を取った弟子たちこそ、「私はキリストではなく、その前に遣わされた者である」と言ったことの証人である、と言いました(28節)。このようにヨハネは自分に与えられた使命をはっきりと自覚し、自分の弟子たちがイエスの方に行くのを大いに喜びました。ヨハネは自分に与えられた使命に生きたのです。

 II. イエスが盛んになり、自分が衰えるのを受け入れた
 ヨハネはまた、イエスと自分の役割と立場の違いを、花婿と花婿の友人になぞらえて説明しています。ここで花嫁はイスラエルの人々を指し、さらにイエスを信じる人たち、やがてはっきりとなっていく教会とキリスト者たちを指すのでしょう。ヨハネは花婿イエスの友人として、イエスが神の国の福音を語るのに耳を傾け、心から喜んでいます。そこにはいっぺんの妬みもありません。それは、彼が使命に徹したからです。「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」(30)は、人々が自分のところから去って、救い主イエスの方に行き、それがますますそうなることを示しています。ヨハネは、それが必然的であると断言し、それを大いに喜んでいるのです。ヨハネの証言は、今日の私たちにも当てはまります。私たちの使命も、イエスを神の御子と信じて、その神子を他の人に証しすることです。私たちの証言を聞いた人々は、イエスを受け入れ、イエスの弟子となって主に従って行きます。そして役割を終えた私たちは、静かに引き下がります。私たちは多くの人が主イエスのところに行きを心から喜ぶのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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