ヨハネの福音書は、読者である私たちに、神の御子イエス・キリストについて多くの事実を提供していますが、それらは、読者が神の御子について必要な知識を得て、イエスを救い主と信じることを目的としています。今日の聖書箇所は、ヨハネが御子について重要なことを要約している箇所です。
I. 神の御子はどういう方か
まず、御子は上から来られる方です(31節)。御子はもともと御父共におられ、御父から遣わされて、人となられました。従って、この方はすべてのものの上におられる方です。確かに、御父は万物を御子の手に渡されたのです(35節)。私たちは何よりもこのお方の権威と主権を認めなければなりません(マタイ28:18、エペソ1:1:21参照)。
次に、この方は御霊を無限に与えられているので、神のことばを話し、その内容は真実です(34節)。従って神の御子として見たこと、聞いたことをあかしされますが、それは御父と共におられた方だけが知っていることで、真実です。しかし、現実は、だれもそのあかしを受け入れません(32節)。その理由は、すでに見たように、彼が真理を求めず、悪を求めるからです(3:19〜20)。でも、その「あかしを受け入れた者は、神は真実であるということに確認の印を押した」のです(33節)。
ヨハネの論述を追っていけば、私たちが何をすべきか明らかになります。
II. 神の御子を信じる
以上のように、ヨハネは私たちに御子を信じるのに、必要にして、十分な知識を与えています。だから、私たちが神の御子を救い主と信じることは、きわめて自然なことなのです。決して、無理強いしたり、十分な知識を与えないで、盲信させるようなことはしていません。きわめてやさしいことばで私たちに迫ってきます。御子を信じたら、その人はどうなるでしょうか。彼は「永遠のいのちを持つ」のです(36節)。すでに学んだように、「永遠のいのち」は、理性や感情で体験するものではありません。ただ、主の約束のことばとして受け入れるのです。では、御子を信じない者はどうなるでしょう。信じない者は「御子に聞き従わない者」と同じことがわかります。その人は「いのちを見ることがなく、神の怒りがその人の上にとどまる」のです。彼は、永遠のいのちを持つことができないだけでなく、やがて神のさばきに会うことになります。神は私たちを愛しておられますが、信じないままでいると、神の怒り(さばき)を取り去ってくださらないのです。御子を信じましょう。 |