私たちは毎週教会に集まって主に礼拝をささげています。この世には多くの宗教があって、熱心な人々は神社やお寺に行って拝みます。私たちとその人たちの礼拝に違いがあるでしょうか。また、その違いは何でしょうか。主イエスはサマリヤの女の質問に答えながら、大切な真理を教えてくださいます。
I. 私たちは知って礼拝する
サマリヤの女は、主イエスのご命令を巧みにそらして、自分には夫がいないと言い、さらに「先生。あなたは預言者だと思います」と言って、ユダヤ人とサマリヤ人の礼拝する場所の違いへと話題を持っていきます。この女性の質問が単に話題をそらすためであったとしても、主イエスは、礼拝についての正しい知識と正しい仕方について女に教えられます。歴史的に見て、サマリヤ人はまことの神と偶像とを混合させた礼拝を始めたヤロブアム二世の流れをくみ、モーセの五書しか知りません。礼拝もエルサレムでなく、主イエスが今おられる場所の近くのゲルジム山で礼拝していました(20節)。サマリヤ人たちは、礼拝をささげる方についてきわめて限られた知識しか持っていず、ユダヤ人から救い主が出ることや、救い主の「父なる神」についてもよく知らなかったのです(22節)。この世の多くの人たちも拝む対象をよく知らずに拝んでいます。正しい信仰を持ったユダヤ人たちは確かに礼拝の対象をよく知って礼拝していたと言えるでしょう。
II. 霊とまことによって礼拝する
続いて主イエスは「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます」(23節)と礼拝すべき態度・姿勢について話され、今がその時だと言われます。そして「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません」(24節)という真理を教えられます。神は霊ですから、エルサレムやゲルジム山などの場所に限定されません。どこにも存在しておられます。そのお方を礼拝するには、聖霊によって新しく生まれた者として、聖霊に導かれて礼拝しなければなりません。次に私たちは、真理であり真実のお方である御父と御子イエスを礼拝するのですから、礼拝する私たち自身もこのお方を礼拝するのにふさわしく整えられ、誠実な思いで真心から礼拝することが大切です。私たちは毎週教会に集い、礼拝をおささげしていますが、私たちの心が十分に整えられて、素直な心になり、真心から礼拝ができたらと思います。そして幸いなことに、主は私たちの礼拝を本当に喜ばれ、受け入れてくださるのです。 |