礼拝説教

2012年7月08日

「今が刈り入れの時」
ヨハネの福音書 4章27〜38節

 主イエスを信じて救われることは、その人の人生において最も重要な出来事と言えるでしょう。その人の信じる前と信じた後の生き方がまったく変わるからです。その救いを主イエスは「刈り入れ」と言われます。主が言われたサマリヤの女とその町の人々について学びましょう。

 I. 魂の刈り入れはすばらしい働き
 主イエスがサマリヤの女と話をしている間に、弟子たちは町へ出かけて行って、帰って来ました。二人の様子を不思議に思いつつも、何も尋ねず、「先生。召し上がってください」とお願いしました(31節)。すると主は「わたしには、あなたがたの知らない食物があります」と言われ(32節)、弟子たちはパンなどの食べ物と思いました。しかし、主イエスはこう言われたのです。「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」(34節)主イエスにとって最も魂に満足を与え、喜ばせるものは、御父のみこころを行い、十字架と復活による救いのみわざを成しとげることです。そしてみわざを成し遂げました。主イエスは、サマリヤの女にご自分が来るべきメシヤ=キリストであることを紹介し(26節)、女はサマリヤ人のたちに主を紹介し、彼らは興味をそそられて、イエスの方にやって来るのでした(30〜31節)。

 II. 今が刈り入れの時
 主イエスと弟子たちがいた所は、青々と育ち始めた麦畑に囲まれていたようです。季節は恐らく1〜2月の冬頃で、あと4ヶ月もすれば、大麦や小麦の刈り入れができると思われます。それで主は、目の前のに広がる麦畑を指して、「刈り入れ時が来るまでに、まだ、四か月がある」(34節)ということわざを言われたものと思われます。ところが、その畑のあぜ道を通って、サマリヤの人々が大挙してこちらにやって来るのです(30節)。彼らを見て、主は「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています」と言われたと思われます。サマリヤの人たちは、女の証言を聞いて、主イエスを救い主=キリストと信じる心の準備ができているのです。今がまさに魂の刈り入れの時です。霊的に考えれば、すでに麦は色づいて、穂を垂れ、刈り入れを待っているのです。実際に麦が色づいて、刈り入れるばかりになっているのではありません。私たちの回りにいる人たちも、すでに魂の刈り入れの時を待っている人々がいるかも知れません。もっと霊の眼が開かれるように祈らなければなりません。「今が刈り入れの時」ですから。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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