礼拝説教

2012年7月22日

「信じる・そして・信じる」
ヨハネの福音書 4章39〜42節

 例えばビリー・グラハム国際大会のような大きな集会で説教者が決心者を募ると、小学生から大人まで多くの人たちが「イエス様を信じます」と立ち上がって態度を表明します。彼らの信仰の決断はすばらしいことですが、補強が必要かもしれません。今日は、サマリヤの人たちの信仰の決心から学びましょう。

 I. 彼らは女の証言によって信じた
 サマリヤの女は、主イエスから自分たちも待ち望んでいたキリストと呼ばれるメシヤが、イエスご自身であることを知らされて、すぐに町へ行きました。そして人々に「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか」(29節)と言いました。彼女の言い方には、「私はそうは思えないのですが」のようなニュアンスがあり、確信を感じられません。それでも、彼女のあかしを聞いたサマリヤの人々は、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」証言したことばによってイエスを信じたのです(39節)。サマリヤの人たちは、旧約聖書の一部しか信じていなかったにもかかわらず、メシヤが来るのを待ち望んでいたのでしょう。このような信仰は、キリスト者の救われたあかしを聞いて、自分も信じたいと決心した人に当てはまるでしょう。今日的にはいわば求道決心と言えるかも知れません。しかし、それでも決心したことはすばらしいことです。

 II. 彼らはイエスのことばによって信じた
 サマリヤ人たちはイエスの所に来た時、イエスを見てとても感動したのでしょう。もっとイエスから直接お話を聞きたいと思って、自分たちのところに滞在してくださるように願いました。そこでイエスは2日そこに滞在されて、恐らくご自分のこと、ご自分と旧約聖書との関係、すなわちご自分が聖書に預言された約束のメシヤ=キリスト=救い主であることを詳しく話されたのでしょう。「そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた」のです(41節)。彼らは女にこのように言いました。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです」(42節)。サマリヤの人たちはどんなに喜んだことでしょう。これは今日的には、次のようなことになるでしょう。先の決心をした人が、自分で聖書を開いて、イエスが確かに世の救い主であり、私の救い主であることがよくわかり、救いの確信が得られたことを指していると言えるでしょう(使徒17:11〜12参照)。それは本当にすばらしい恵みです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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