私たちが初めて信仰を持った頃は、御子イエスと御父との関係がそれほどはっきりと理解できませんでした。それが次第にそれぞれの位格とお働きがわかると同時に両者の関係もわかってきます。私たちが聖書から必要な知識が得られてきたからですが、同時に聖霊が働いてくださって、霊的な事柄に関してより深く知ることができるようになったと考えられます。今日の箇所から大切なことを学びましょう。
I.御父はすべてのみわざを御子にゆだねておられる
御子は御父の身許におられて、御父からあらゆる知識を受けられ、あわゆるみわざを見ておられます。全知全能ということばは神についてのみ言えることですが、それは主イエスにもすべて当てはまります。ただ、御子は御父からすべてを受け、それを御父と同様に行われます。御子が御父から放れて、ご自分の考えて何かをなさることは決してありません。それを主は、「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません」(19節)と言われるのです。このように御子は御父がなさるみわざ(奇蹟)をすべて行うことができます。御父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、御子も与えたいと思うものにいのちを与えられます(21節)。やがて見るラザロのよみがえりはその良い例です。もちろん、この世のいのちだけでなく永遠のいのちにも当てはまります。また主イエスは、愛やきよさや正しさなどあらゆる徳といわれる神以外は完全には持つことのできないご性質を持っておられます。それは、イエスが「わたしを見た者は、父を見たのです」(14:9)言われるとおりです。
II. 御父はすべての権威を御子に与えておられる
権威とみわざをはっきりと分けることはできないかも知れませんが、主イエスは、ご自分を信じる者に永遠のいのちを与えるとともに、信じない者をさばくことがおできになります。それは御父からいのちを与える権威とともにさばく権威を与えられているからです。21節に続いて22節でイエスが言われるとおりです。同様のことを主は、26節に続いて27節でも言っておられます。先に見たように神のさばきはすでに始まっていますが(3:18〜20)、この世の終わりには主イエスが再び来られて(再臨)、すべての者をさばかれます(29節参照)。しかし、主を信じて永遠のいのちを与えられている者は決してさばかれません。また、主の再臨の時、すべての者はよみがえりますが、そのことは後で学ぶことになります。主イエスは、いよいよ天に昇られる時を前にして、弟子たちに大宣教命令を与えられました。その最初のことばが重要です。「わたしには天においても、地においても、一切の権威が与えられています」(マタイ28:18)。使徒たちも、彼らに続く弟子たちも、そして現在の私たちも、その権威が与えられているお方の弟子なのです。 |