今日、残念ながらイエスを信じてから、イエスの許から離れて行く人がいます。原因はそれぞれに違うでしょうが、イエスをどのように信じ、愛し、理解しているか否かが、鍵でしょうか。今日もイエス時代の弟子たちを取り上げます。
I. イエスから離れていく人
イエスは、群衆やユダヤ人の宗教的指導者たちやイエスの弟子たちに、ご自分が天から下って来たいのちのパンであることを語りました。多くの人たちはイエスの話を理解できませんでした。特に、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています」(54節)と同様の表現のことばがくり返されましたが、そのことばは彼らの大きな反発を生みました。群衆やユダヤ人の指導者たちだけでなく、弟子たちのうちの多くの者が、「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか」(60節)と反発し、最後には、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかったのです(66節)。確かに、イエスの血を飲む、という言い方が彼らの律法に従って歩んできた生き方を否定するように思えたのでしょう(レビ記17:10-14参照)。しかし、イエスのおことばは、表面的な文字通りの理解であってはなりません。イエスご自身を救い主、神の御子と信じ、人格的に深い交わりに生きることを求められているのです。残念ながら彼らはイエスのおこころを理解せず、イエスから離れて行きました。
II. イエスにとどまる人
イエスの弟子たちの中心は12弟子です。イエスは彼らに言われました。「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」(67節)ここで「あなたがたも」は強調されたことばです。イエスは12弟子たちを自ら選び、愛し、教え、訓練を与えて来られました。彼らもほかの弟子たち同様、イエスのおことばを曲解し、離れて行くのは悲しいことです。しかし、12弟子たちを代表してペテロが答えました。「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」(68-69節)ペテロはここで正しい信仰告白をしました。イエスのこれまでの話を聞き、また弟子として召されてから、一緒に生活をし、見たり、聞いたり、教えていただいた経験から、イエスが永遠のいのちのことばを持っておられること、神の聖なるお方であることがわかったのです。ただイスカリオテのユダだけがイエスを信じず、裏切ってしまいます。イエスはユダを悪魔と呼んでいます(64、70-71)。何よりもイエスを愛し、信頼することが一番大切なことです。 |