一般的な取り上げ方ですが、裁判所での判決がもし間違っていたなら、裁判官は大きな過ちを犯すことになります。無実の人を有罪にしてしまうか、犯罪を犯した人を無罪にしてしまうからです。一方多くの場合、私たちの周りで行われていることに対して、私たちが人々をさばいてしまうことがあります。その時、時には間違ったさばきをしてしまうかもしれません。イエス時代のユダヤ人の指導者たちはどのようにさばいていたのでしょうか。
I. 間違ったさばき
当時のユダヤ人の宗教的指導者たちは、神の栄光を求めずに、自分の栄光を求めました。そのような生き方をしていると、律法を守る時も、目は神に向いているよりも、周りにいる人々に向いてしまいます。ですから、神が与えてくださった律法を正しく理解し、正しく守ることができません。例えば、「殺してはならない」という十戒の第6の戒めを守ろうとしないで、イエスを殺そうとするのです。イエスがご自分を神が遣わされた救い主と主張されると、イエスは神を冒涜しているとして第1や第3の戒めを破っていると主張したり、イエスが安息日に人々をいやすと、第4の戒めを破っていると極め付けてしまうのです(出エジプト20:1-17参照)。このような彼らに対してイエスは、「あなたがたはだれも、律法を守っていません」(19節)と言われるのです。彼らは、「あなたは悪霊につかれています」(20節)とイエスを精神的な病のせいにしようとしますが、当然のことながら、これは間違っています。彼らはイエスを表面的にしか見ないでさばこうとしているのです。
II. 正しいさばき
イエスは彼らにはっきりと説明します。パリサイ人や律法学者はモーセが与えた割礼の戒めを守って来ました。割礼は生まれて8日目に施すことが定められているので、それが安息日に当たると、当然のことながら、安息日に割礼を施します。それはモーセの律法を守るためであり、それを日常の仕事とはみなさないからです。しかし、イエスが安息日に病気で長い間伏せっていた人をいやしたことで、彼らは驚くと同時に、イエスを非難したのです。イエスは安息日に労働して、安息日を破ったからというのが彼らの主張です(5:10、16)。それに対してイエスは、次のように断言されます。「もし、人がモーセの律法が破られないようにと、安息日にも割礼を受けるのなら、わたしが安息日に人の全身をすこやかにしたからといって、何でわたしに腹を立てるのですか(23節)」。律法の精神を本当に理解し、行おうとするならば、安息日に良いことをすることは、むしろ正しいことであって、何ら非難されるべきことではありません。ユダヤ人たちは表面的にしか律法を見ていないのです。イエスは「今日のみことば」にあるように、「うわべによって人をさばかないで、正しいさばきとをしなさい」と言われます。私たちも主イエスの生き方に従いましょう。 |