礼拝説教

2013年2月24日

「人を罪に定めず、赦す方」
ヨハネの福音書 7章53〜8章11節

 世界のどの国でも裁判制度があって、犯罪に相当する罪を犯した人は裁判にかけられ、その結果、有罪にされて刑務所に入れられるか、無罪になって解放されるか、分かれます。しかし、本来罪を持った人間に人をさばく権利がないことも事実です。人を裁くことのできる方は神様しかおられません。今日の聖書箇所は主イエスがなさったさばきから大切な真理を学びます。

 I. 人は他人を罪に定める資格がない
 ヨハネの今日の箇所は、ヨハネが直接書いたのではなく、後代の誰かが書いたと考えられるので、正典として認められず、新改訳聖書でも区別されて括弧書きになっています。しかしながら、イエスはこのようなことをなさったと考えられます。イエスは、朝早く宮で座って民衆に教え始められました。するとそこに、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、人々の真ん中に置きました。彼らはイエスに質問し、答えを求めました(4-5節)。彼らの目的はイエスを試して、わなにかけ、告発するためでした(6節)。確かにこの女は十戒の中の第七戒を犯したのですから、有罪となれば石打の刑にされるかも知れません。もしイエスが「この女を赦しなさい」と言われたなら、「あなたはモーセの律法にそむいてもいいのか」と詰め寄ればよいのです。イエスがもし、「この女に石を投げなさい」と命じるとすれば、彼らは、「あなたの語ってきた愛やあわれみは全部うそなのか。よくもそんなむごいことができるものだ」と詰め寄ることができるでしょう。イエスはどうされるのでしょうか。

 II. イエスは女を罪に定めず、赦される
 イエスは彼らの問に答えず、身をかがめて、指で地面に書いておられました。何を書いておられたのかはわかりません。ある人は十戒を書いておられたとか、別の人は魚の絵を描いておられたとか、言うのですが、確証はありません。しかし、律法学者たちは、イエスに問い続けてやまなかったので、イエスは身を起こして、「あなたのうちで罪のないものが、最初に彼女に石を投げなさい」(7節)と言われました。そしてイエスは、もう一度身をかがめて、同じように地面に何か書かれました。イエスに言われた彼らはどうしたでしょう。何と年長者から始めて、一人ひとり出て行き、イエスと女だけになってしまいました。イエスは、身を起こして、その女に言われました。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定め者はなかったのですか。」(10節)この所は「誰もあなたを罪に定めなかったのですか」が直訳です。女は「だれもいません」(11節)と答えましたが、それは「誰も罪に定めませんでした」の意です。イエスのお答えは「今日のみことば」に掲げた通りです(11節後半)。イエスはご自身がこの世に来られた目的そのものを言われたのです(3:17参照)。イエスには人の罪を赦す権威があり、愛があるのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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