礼拝説教

2013年3月3日

「 イエスは世の光である」
ヨハネの福音書 8章12〜20節

 私たちの毎日の生活でどれほど光の恩恵を受けているかは、夜突然、停電になり、しばらくの間暗闇で過ごさなければならなくなった時、よくわかります。その時、懐中電灯でもローソクの光でも、あるいはマッチやライターの小さな光でも、大いに役立ちます。主イエスの時代は、もっと明かりが重要だったことでしょう。今日はイエスご自身の証言、12節から学びます。 

 I. イエスは世の光である
 イエスがご自分のことを「世の光である」と証言される時、「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた」(1:9)を思い起こします。イエスは真実の光として、初めから御父と共におられました。この世のものは、どんなものでもそれ自身で光を放つことはできません。すべて光を受けて、反射して光ります。しかし主イエスは、ご自身が光源であり、ちょうど太陽が自ら光るように光を持っておられるのです。そのお方が、この罪多き世に来てくださいました。神の御子として処女マリヤからお生まれになり、闇の世を照らしてくだったのです。イエスは世にあるもろもろの罪を照らし、罪の存在とその解決の仕方を示してくださいました。まことの光に照らされないと、人は自分の罪がわかりません。人は自分の罪がわかった時、その解決もすでにイエスの十字架の贖いのみわざが完了しているので、主イエスを信じればよいこともわかります。私たちが自分の罪を告白し、イエスを救い主と信じて、主に従って行こうと決心し洗礼を受けたとき、キリスト者としての生活が始まるのです。

 II. イエスに従う者はいのちの光を持つ
 イエスを信じた私たちは、主イエスからその光をも与えられます。これまで、自分勝手の道を歩んでいた私たちは、正しい道がわからず、闇の中を歩んでいたのです。私たちは、罪から解放してくださるお方を知らないので、罪を犯しつつ、御父のおられる天国への道ではなく、悪魔のいる暗闇の世界に向かっていました。しかし今や、私たちは罪赦され、永遠のいのちが与えられましたから、もはや闇の中を歩むことがなく「いのちの光」を持っているのです。イエスが私たちの先頭に立って、どこに行くべきかを遥か先まで照らしてくださいます。遠い見通しがなければ私たちは安心して歩けません。暗闇のトンネルの中を手探りで歩んでいては、心に平安もなければ、正しい歩みをしているという確信もありません。しかし、イエスご自身がトンネルは前方に開けた出口があり、その先に行くべき道がしっかりと付いていることを示してくださいます。さらにイエスに従う者は、イエスの光で足もとも照らしていただけます。だから、罪に打ち勝ち、自分のなすべきことを示され、それを行いつつ、最後まで主に従って歩んで行くのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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