今日はイースターです。主イエスは、十字架にかけられて死なれ、三日目の朝早くよみがえられました。それから2000年間、世界中の教会は、イースターの礼拝を守り続けています。主のよみがえりの事実が本当であり、今も生きておられる主に礼拝をおささげすることが、大変重要だからです。今朝はマタイの福音書から復活の事実とその意義を学びましょう。
I. 墓がからであった
主が十字架にかかった日は金曜日で、その夕方から安息日が始まります。安息日が終わるのは土曜日の夕方ですが、暗くなってから女たちだけで墓に行くことはできません。日曜日の明け方、マグダラのマリヤとほかのマリヤ(ヤコブの母マリヤと思われます)の二人が墓に行きました(1節)。準備していた香料と香油を主イエスに塗るためです(マルコ16:1ほか)。ところが御使いが天から降りて来て、墓の入り口をふさいでいた大きな石をわきへころがして、その上に座ったため、大きな地震が起きました(2節)。御使いの顔や衣はこの世のものではなかったので、番兵たちは恐ろしさのあまり、死人のようになりました(3-4節)。御使いが女たちに言ったように、墓の中に主イエスのからだはなく、あったのは主のからだを包んでいた亜麻布と頭に巻かれていた布切れだったはずです(5-6節、ヨハネ20:5-7)。主はよみがえって、墓から出て行かれたので、墓は空っぽでした。これが、主がよみがえられた第一の証拠です。
II. 主は弟子たちにご自身を現された
御使いからメッセージを伝えられて、女たちは恐ろしくはあったが、大喜びで墓を離れ、弟子たちの所へ急ぎました。途中で主イエスが女たちに出会って、「おはよう」と言われ、女たちは近寄って御足を抱いて主を拝みました(7-9節)。ヨハネの福音書によれば、墓にひとり残ったマグダラのマリヤが、よみがえられた主イエスにお会いしています(20:14-17)。その日の夕方、ユダヤ人を恐れて戸を閉めて、ひっそりと静かにしていた10人の弟子たちに、主イエスは現れて、手と脇腹を示されました(20:19-20)。その他にも主は何回も弟子たちにご自身を現しておられます。それは主がよみがえられたことが事実であり、それを証拠として示す必要があったからです。
以上の復活の事実から私たちは二つのすばらしい確信を持つことができます。
第一に、イエスは神の御子であること、今も生きて働いておられることが証明されました。私たちは毎週教会に集まり、生きておられる父なる神と御子イエスに礼拝をささげているのです。
第二に、主イエスを信じることにより、私たちの罪が赦され、神の御前に義と認められることが証明されました。ローマ4:25のとおりです。主イエスを救い主と信じ、確信をもって、主に従って行きましょう。 |