礼拝説教

2013年4月21日

「アブラハムの前からおられる方」
ヨハネの福音書 8章48〜59節

 私がかつて信仰を持ち始めた頃、時々心配したことがありました。信仰の薄い自分のことを棚に上げ、イエス様は本当に従って行って大丈夫だろうかということでした。しかし、聖書から教えられるイエス様は、世の中のすべての人を信頼できなくても、このお方だけは完全に信頼できる方とわかって来ました。そして洗礼を受けたのです。今日もイエス様はどういうお方かを学びましょう。

 I. イエスは崇められるべき方
 当時のユダヤ人たち(宗教的指導者)は、イエスを崇めていませんでした。イエスを「サマリヤ人で、悪霊につかれている」と決めつけました(48節)。ユダヤ人たちは、サマリヤ人は異邦人以下で付き合う資格がないと軽蔑していました。また、イエスがなさった数々の奇蹟についても言えることですが、イエスが悪霊追い出したみわざを「彼は悪霊どものかしらを使って,悪霊どもを追い出しているのだ」(マタイ9:34)と言い張りました。さらに、悪霊につかれているので、イエスは「気が狂っている」(ヨハネ10:20)と断定するのです。しかし、イエスは御父を敬っておられると同時に、御父から栄光を与えられるお方なのです(49、54節)。だから、ユダヤ人たちが父なる神を敬うと言っていながら、御父が栄光を与えられるイエスを卑しめて、敬わないのは随分おかしなことです。キリスト者はイエスを崇めていますから、毎週教会に集い、御父と御子に心から礼拝をささげているのです。喜びと感謝をもって、畏れとおののきをもって御前に集いましょう。

 II. イエスは永遠のいのちを与えることができる方
 イエスは厳かに、「だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません」(51節)と言われました。ここでの死は、霊的な死を意味しています。イエスを信じ、そのおことばを守る者は、永遠のいのちが与えられますから、決して霊的な死(神と交わりがなく、やがて永遠に神から引き離されてしまうこと)を見ることがないのです。ところがユダヤ人たちは、霊的な死についてわかりません。アブラハムは死に、預言者たちも死んだのに、「どうして死を味わうことがない」(52節)と言うのかと非難します。彼らには、霊的な洞察力がないので、いつも肉体の死だけしか理解できません。さらに、アブラハムを尊敬するあまり、この世に来てくださったイエスとアブラハムを比較してしまい、アブラハムをイエスより上に置いてしまうのです。この次詳しく学ぶのですが、イエスは御とともに永遠の昔からおられるお方であり、御父と同じようにいのちを持っておられるので、ご自分を信じる者に永遠のいのちを与えることができるのです。私たちすべてに永遠のいのちが与えられていることを感謝しましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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