礼拝説教

2013年5月5日

「アブラハムの前からおられる方」(2)
ヨハネの福音書8章48〜59節

 私たちは、イエス・キリストが御父、聖霊と共に永遠の昔から存在しておられたことを、ヨハネの福音書から知ることができます。それは著者ヨハネが初めから記していることですが(1:1-14ほか)、特に今日の箇所でイエスご自身がご自分の永遠性をはっきりと言われているので、私たちは確信を持つことができるのです。今日もイエスのおことばに耳を傾けましょう。

 I. アブラハムはイエスの日を見ることを思って喜んだ
 ユダヤ人の宗教的指導者たちは、イエスよりアブラハムのほうが偉いと思っていました(53節)。しかしイエスは、ご自分に栄光をお与えになる方は御父であり、その方をユダヤ人たちは「私たちの神である」と言っていると言われます(54節)。また、彼らは御父を知らないけれど、ご自分は知っており、そのみことばを守っています、と断言されます(55節)。イエスのこの発言に彼らは反発し、怒ります。しかしイエスは、もっと決定的なことを言われます。「あなた方の父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て喜んだのです。」(56節)この中の「わたしの日を見ることを思って」は、原文の直訳は「わたしの日を見るために」ですが(新改訳脚注参照)、意味を考えて、このように訳していると考えられます。ヘブル11:13には、「これらの人々はみな、信仰の人々として・・・はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していたのです」とあります。アブラハムはこのように、信仰によってメシヤであるイエスの到来を喜んだのです。

 II. イエスはアブラハムの生まれる前からおられる
 「今日のみことば」である58節は、イエスが永遠の昔からおられる神であることを宣言された極めて重要な箇所です。ここにある「わたしはいるのです」は、出エジプト3:14でモーセに出会ってくださった神が「わたしは『わたしはある』という者である」とご自身を紹介しておられることばと同じ内容です。それは人間が使えないことばです。イエスは、神であるのでアブラハムが生まれる前からおられたし、今も存在しておられます。これを聞いたユダヤ人たちは、非常に怒って、石を取ってイエスに投げつけようとしました。しかし、イエスは宮から出て行かれました。イエスは決して救いのご計画に反して、捕らえられたり、殺されたりすることはありません。主にとってすべてが御父のみこころのままに運ばれ、捕らえられる時も、十字架にかかられる時も定まっているのです(7:30、8:20参照)。私たちは、イエスが永遠の昔から今に至るまで、そして永遠の未来にわたって生きておられる神であることをはっきりと確信し、どんな時にも、私たちと共におられて導いてくださる主に従って行きましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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