クリスチャンである私たちは、イエス・キリストを救い主と信じ、救われた者たちです。その救いの体験をほかの人たちに話すことがあかしです。また証しする人を証人と言います。証人としての条件は何でしょうか。この生まれつき盲人だった人が行った証しが参考になるでしょう。
I. 正直に証しする
この人は、イエスによって、生まれた時から盲目であった目が見えるようになったことを、当然ですが、はっきりと理解していました。彼が癒されたのは安息日でした(14節)。それで、パリサイ人たちは、安息日を破ったイエスを糾弾するために、証人として(恐らく会堂に)呼び出して、尋問しました。彼は正直に答えました(15節)。また彼は、この時点でイエスを救い主としてはわからなかったので、パリサイ人たちから「あの人を何だと思っているのか」と尋ねられた時、「あの方は預言者です」と率直に答えました。さらに、もう一度呼び出されて、「あの人が罪人であることを知っているのだ」と同意を求められた時、「今日のみことば」(25節)であることばをはっきりと語りました。証人としての条件は、このようにイエスが自分の身になしてくださったことをはっきりと理解し、正直に語ることです。それはただ自分の体験だけを語るのはなく、イエスを証しすることです。盲目だった人は、自分の目を開いてくださったイエスを正しくに証ししたのです。
II. 勇敢に証しする
この人は、イエスのことを正しく証しすると、会堂から追放されることを知っていました(22節)。彼の両親もパリサイ人たちに呼び出されて、彼らの息子がどのようにして目が見えるようになったのか、と尋ねられました(19節)。しかし両親はその問に正確に答えませんでした。自分たちの息子の身に起こったすばらしい奇蹟を感謝して、喜びをもって大胆に話すはずなのに、彼らは宗教的指導者であるユダヤ人たちを恐れて、息子に聞くようにと逃げてしまいました(20-23節)。イエスをキリストと告白する者があれば、会堂から追放されるとわかっていたからです。しかし、目が開かれたこの人は、あくまで勇敢に、イエスが神を敬い、そのみこころを行うゆえに、生まれつき盲人の目を開けることができたこと、従ってイエスは神から出ておられるお方である、と証言したのです(30-33節)。その結果、彼は会堂から追放されてしまいました(34節)。彼にとってイエスは特別な人でした。この方のためなら、証ししたことで、たとい自分が追放されても良いと思ったのです。私たちも見習いたいですね。 |