礼拝説教

2013年7月7日

「わざによってイエスを信じる」
ヨハネの福音書10章31〜42節


 当時のユダヤ人たちは、イエスからすばらしい恵みのことばを聞いても信じられませんでした。普通の罪ある人間がイエスのおことばを聞いても理解できず、信じられことは、私たちにも理解できることです。しかし本当の原因は、理解しよと努めないだけでなく、イエスに対する反発であり、反感でした。しかし、イエスは、なおも救いの手を差し伸べてくださるのです。

 I.イエスの言うことが信じられない
 ユダヤ人たちは、イエスが安息日を破ったことで、イエスを殺そうとしました。さらに、イエスがご自分を「わたしと父とは一つです」(30節)と言われた時、イエスを石打ちにしようとして石を取り上げました(31節)。先に見たように、イエスと御父とは考えにおいて、目的において、わざにおいて一つなのです。さらに付け加えれば、イエスと御父とは神という性質において、一つです。彼らの行為に対して、イエスは、ご自分がなさった良いわざのうちの、どのわざのために石打にしようとするのか、と尋ねます(32節)。彼らの答えは、33節にある通り、イエスは、人間でありながら、自分を神とするから、神を冒涜していると言うのです。イエスはすでに、「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働らいているのです」(5:17)と言われ、ユダヤ人から反発を買いました(18節)。それに対するイエスのお答えは、詩篇82:6からの引用でした(34-36節)。しかし、彼らには効果がなかったようです。

 II. イエスをわざによって信じる
 イエスは「今日のみことば」にあるように極めて重要なことを言われました(37-38節)。確かに彼らは、イエスの言うことが信じられませんでした。イエスのおことばには必ずわざが伴っています。イエスの言われることとなさるわざとの関係について、「もしわたしがわざを行なっているなら、たといわたしの言うことを信用できなくても、わざを信用しなさい」(38節)と訳すことができます。イエスのみわざは確かに、御父がイエスとともにおられて、イエスご自身の中でわざを行なっているから、わざによってイエスを信じることはそれほどむずかしくないのです。それは38節後半でイエスが言っておられること、すなわち「父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、知り、また知り続けるためにわざを信用しなさい」(直訳)ということです。イエスのなさるみわざはまさに、御父とイエスが一つであることを証明しています。今日の私たちにはイエスの復活の事実をすでに知っていますから、信じるチャンスは昔よりずっと多いのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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