礼拝説教

2013年7月14日

「イエスが愛しておられる者の病気」
ヨハネの福音書 11章1〜10節

 父なる神様もイエス様も私たちを愛してくださっていると、私たちは確信しています。御父は私たちすべての人を愛してくださったゆえに、そのひとり子である御子イエスをこの世に送ってくださいました。そしてイエスも、私たちへの愛のゆえに十字架にかかって死んでくださって、救いの道を開いてくださったのです。ところで聖書は、主イエスが特定の人を愛しておられたことも記しています。それは弟子のひとりのヨハネと今日から学ぶ箇所に出て来る3人の姉弟たちです。

 I. イエスはラザロを愛しておられた
 イエスは、エルサレムの近くにあった(3キロメートルぼど)ベタニヤという村に住んでいた3人姉弟を愛しておられました。恐らくエルサレムに上られる時、その家に立ち寄って、しばらくの休まる時を持ったと思われます(ルカ10:38-42参照)。ところが今度の場合は違っていました。ラザロが病気にかかっていて、マルタ、マリヤという姉妹たちがイエスに使いを出して、3節のことばを伝え、イエスに直ぐに来てくださることを願ったことです。恐らく、彼女たちはイエスが直ちに来てくださるに違いないと思ったことでしょう。何しろ自分たちはイエス様に愛されていると信じて疑わなかったからです。そのイエスの姉弟たちへの愛は、回りの人たちも知っていたほどで、イエスに愛されて弟子であり、この福音書の著者であるヨハネが書いているだけでなく(5節)、周りにいたユダヤ人たちも知っていたのです(36節)。このようにイエスから特別に愛されている人は確かに幸いです。しかし、実は私たちも個人的に愛されているのです。それは私たちの信仰告白の時に実感できることです。イエスの十字架は、実に私の罪のためであったと知る時に、イエスの愛を確信するのです。私もあなたも個人的にイエス様から愛されているのです。

 II. ラザロは重い病気だった
 イエスが愛しておられたラザロは病気にかかっていました。どのような病気だったのか、何か原因があったのかの説明は、一切ありません。ただわかることは、彼の病気は非常に重かったことと、後で分かることですが、イエスがおられた所からまだベテニヤに行かれないうちに、ラザロは死んでしまったことです。イエスが愛しておられた3人姉弟の中でラザロだけが病気にかかったのか、弟子のヨハネが病気にかかったことがあったのか、なかったのかについては、何も聖書に記されていません。それにイエスが愛しておられる者が病気にかからないという保証もないし、病気にかかるということも決まっていません。私たちの回りにいる家族や友人たちについても同じです。私の妻も含めて、イエスから愛されていたと思われる私の友人の何人かも若くして亡くなっています。私の目から見て、すばらしい姉妹たちのそれぞれの夫が若くして召されています。ただ言えることは、どのような病気にかかろうとどんな苦境に陥ろうと、イエスは私たちを愛しておられるという事実に変わりがないことです。イエスはいつもあなたを愛しておられるのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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