礼拝説教

2013年9月1日

「イエスへの愛の香油注ぎ」
ヨハネの福音書 12章1〜8節

 私たちの主であり、救い主であるイエスのためには、私たちが持っているどんなにすばらしいものをささげても、十分とは思わないでしょう。しかし、現実となると二の足を踏んでしまうのではないでしょうか。ここにすばらしい模範を示した女性がいます。マルタの姉妹のマリヤです。彼女の行為に目を留めましょう。

 I. マリヤは最も大切な香油をイエスに注いだ
 イエスは、ユダヤ人の指導者である祭司長、パリサイ人たちからご自分の逮捕命令が出ていることを承知の上で、過越の祭りの6日前にベタニヤに来られまいた。そこには、イエスがよみがえさせたラザロがいました(1節)。人々はイエスのために、晩餐を用意しましたが、そこは彼ら姉弟たちの家と思われます。ここはマタイによれば、ツァラアトに冒されたシモンの家でした(マタイ26:17参照)。マルタは持ち前の賜物を活かして、給仕していました。するとマリヤが非常に高価な、純粋なナルドの香油300グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛で御足を拭いました(3節)。ナルドの香油は極めて芳香性が高いですから、たちまちその香ばしい香りが部屋中に満ちたのです。すると早速、イスカリオテ・ユダが文句を言いました。一見彼の言い分はもっともらしく思えます(5節)。300デナリというのは、労働者の300日分の賃金ですから、香油を売れば大きな金額になります。しかし、ユダの本心は別のところにあったのです(6節)。マリヤはイエスへの愛と感謝の思いを込めて、イエスの足に注いで、女性にとって大切な髪の毛で拭ったのです。

 II. マリヤはイエスの埋葬のための用意をした
 マリヤがした行為は、自分では十分理解していなかったかも知れませんが、イエスご自身にははっきりとわかっていました。7節のイエスの説明がそうなのです。マタイによれは、イエスはこう言われました。「この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。」(26:12)マタイはまた、この女は食卓に着いておられるイエスの頭に注いだと説明しています(7節)。弟子たちが、貧しい人たちを顧みて、具体的に援助をすることは決して悪いことではありません。でも弟子たちは貧しい人たちとはいつもいっしょにいますが、イエスは間もなく十字架にかかられて、死なれ、埋葬されるのです。これは一回限りの特別な場合です。しかもその埋葬は十分にお金も時間も掛けられないでしょう。マリヤの行為は、前もってした、非常な犠牲を伴う埋葬の用意だったのです。マリヤの愛の行為を、イエスは立派なことをしてくれたとほめました(マタイ26:10,13)。私たちもイエスへの愛と感謝のささげものをしたいものです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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