礼拝説教

2013年9月29日

「イエスを信じない理由」
ヨハネの福音書 12章36節後半〜43節

 イエスがこれまで話して来られた目的は、話を聞いた人々がご自分を信じて、永遠のいのちを持ってほしいと願ったからでした。ところがイエスを信じない人たちは少なくなかったのです。その理由は、イエスが彼らを信じさせるのに失敗したわけではありません。ヨハネはその理由を簡潔に記しています。

 I. 旧約聖書の預言の成就のため
 イエスはユダヤ人たちの目の前で多くのしるし(奇蹟)を行いました。それらは、イエスが神の御子である証拠であるにもかかわらず、彼らはイエスを信じませんでした(37節)。ヨハネはその理由を、イザヤ書53:1から引用して説明しています。イザヤ書53章は「苦難のしもべ」としてイエス・キリストの苦難(御苦しみと十字架)を預言したものです。イエスの宣教は、多くのユダヤ人を信じさせるようにはなりませんでした。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか」(38節)ということばの通りのことをユダヤ達は行いました。「また主の御腕はだれに現されましたか」とある通り、イエスの行ったみわざの中に、主の全能の御力が現されたのにもかかわらず、ユダヤ人たちはそれを理解せず、心に留めなかったのです。このようにイエスの時代のユダヤ人たちが、メシヤを待望していたのにもかかわらず、メシヤとして来られたイエスを信じなかったのです。そのことがすでに700年も前に預言されたおり、その通り成就したのです。

 II. 霊的盲目と心の頑なさのゆえに
 ヨハネはもうひとつの理由を同じくイザヤ書10章からかなり自由に引用しています。「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた」(40節)は、一見すると、ユダヤ人たちが主を信じないのは、彼らのせいではなく、主ご自身のせいであり、責任だと取りかねません。主はわざわざ意地悪をして、彼らが信じないようにされたのでしょうか。実は、そうではなくて、彼らの罪の故なのです。彼らが自らの罪を認め、へりくだって主の教えに耳を傾け、心で理解しようと務めるならば、イエスを正しく理解でき、信じることができるはずです。主は、彼らの心の頑なさのゆえに聖霊を送るのを留められるのです。聖霊が人々に働くのは、むしろ主の恵です。こうして、イエスの時代のユダヤ人たちは、結果的に「彼らが目で見ず、心で理解せず、回心せず、そしてわたしが彼らをいやすことのないためである」という預言が成就するのです。そしてイザヤがこう言ったのは、イザヤがイエスの栄光を見たからでした(41節)。しかし、指導者の中にもイエスを信じる者がたくさんいました(42節)。しかし彼らの信仰は真実のものと言えるでしょうか(43節)。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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