礼拝説教

2013年10月6日

「イエスを信じるとは」
ヨハネの福音書 12章44〜50節

 私たちが教会に来る目的はイエスを信じることです。ヨハネの福音書が書かれた目的も、読者がイエスを神の御子、キリストと信じて、永遠のいのちを得るためです。これまでに読んできた聖書の箇所も「イエスはどういう方か」「イエスを信じることはどういうことか」「イエスを信じるとどういう祝福が得られるか」など大切な事柄について、イエスご自身や著者ヨハネが書いてきました。今日の箇所は、これまでのまとめの一つです。

 I. イエスを信じる者は御父を信じるのである
 44節はこの章の文脈から言えば、36節前半から続くものです。十字架を前にしてイエスがエルサレムの群衆に向かって、大声で言われたことは、「わたしを信じる者は・・・わたしを遣わした方を信じるのです」ということでした。イエスを信じることは、御父を信じることである、というのです。この真理は非常に重要で、イエスは、御父からこの世に遣わされた神の御子であるということです。イエスは神が人となったお方であり、ただの人間ではありません。ユダヤ人たちはこの真理を理解せず、イエスを預言者(しかも真の預言者ではない)として信じるだけでした。しかし、イエスと御父はその本質において同じなのです(10:30,8:55-56, 58参照)。だから、イエスを見る者は御父を見る者なのです(45節)。イエスと御父との深い関係はイエスが言われる通りのことで、私たちはそれをすべてそのまま受け入れなければなりません(49節)。たといその深い意味について十分には理解できなくても、そうなのです。

 II. イエスを信じる者は救われ、光の中を歩む
 イエスは様々な表現でご自分の本質を明らかにしておられます。その一つが「光」です。ご自分は光としてこの世に来られました(46節、8:12)。ご自身には暗さが一つもなく、この闇の世を照らし、闇の支配者であるサタンに打ち勝ちました(1:5,16:33参照)。ですから、イエスを信じる者は、イエスから光を受け、その光のもとで光に導かれて歩むことができます。だから、「だれも、やみの中にどどまることがない」のです。従って、私たちキリスト者は光の中を歩みますから、罪の中を歩むことがないのです。またイエスは、この最初の来臨の時はさばき主としてではなく、救い主として来られました(47節、3:16-17)。だれでもイエスを信じるならば、その救いに入れられます。しかし、イエスを信じない者は、イエスが言われたおことばの通り、終わりの日にさばかれます(48節)。ですから、今の恵の時にイエス様を信じましょう。そして、永遠のいのちをいただきましょう。それは御父の命令でもあります(50節)。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
静岡県富士市今泉2640-15 TEL&FAX:0545-52-6382