礼拝説教

2013年10月13日

「イエス、弟子たちの足を洗われる」
ヨハネの福音書 13章1〜11節

 イエスが弟子たちの足を洗われるという出来事は、大変有名で、キリスト者なら多くの人が知っているでしょう。ただ前半の箇所でペテロにイエスが言われたことば、「もし洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません」は、何かむずかしい感じを与えます。今日は、イエスのなさった洗足の行為そのものから考えてみましょう。

 I. イエスが弟子たちの足を洗われる
 イエスは、これから最後の晩餐と言われている、最後の過越の食事を弟子たちとするために、エルサレムのとある二階の大広間に入って行きました。イエスが十字架にかかられる前の晩で、木曜日と考えられます。ところがそこには主や弟子たちの足を洗ってくれるしもべがいませんでした。弟子たちはというと、ここに来るまで、道々、自分たちの中で誰が一番偉いかと議論し合っていました。彼らは先生の足を洗うことさへ思いつかなかったほど、互いに反目し合っていたのです(マタイ20:20-28,ルカ22:24参照)。イエスも弟子たちもすでに夕食の席についていました。その時イエスが席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれました(4節)。それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められたのです(5節)。これはまさにしもべのなすべき仕事です。イエスが弟子たちの足を洗われた手本としての意味については、次回取り上げ、ここでは8,10節を中心に考えます。

 II. イエスご自身が罪を取り除き、きよめてくださる
 こうしてイエスがペテロの所に来られた時、ペテロはさすがに困ってしまって、「主よ。あなたが私の足を洗ってくださるのですか」と尋ね、「決して私の足をお洗いにならないでください」とことわりました(6,8節)。イエスが言われた7節の意味については、もちろんこの時、ペテロにはわかりませんでした。イエスのお答えは意外なものでした。「もし洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません」(8節後半)と言われて、ペテロは、足だけでなく、手も頭も洗ってくださいとお願いしました(9節)。ところがイエスのお答えは再びペテロの理解を越えたものでした(10節)。確かに食事に招かれ者は、家で水浴をしてから出かけます。その家に着いたら、普通しもべが客の足を洗ってくれます。足以外洗う必要はありません。「全身きよいのです」から。しかしながら、ここでイエスが言われたことは、比喩的な意味を持っています。水浴は、主イエスの十字架による罪の赦しと聖めを象徴していると考えられます。それをイエスが弟子たちの足を洗うことによって、弟子たちはイエスの聖めにあずかることを表しているのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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