礼拝説教

2013年11月3日

「互いに愛し合いなさい」
ヨハネの福音書 13章31〜38節

 この世の人たちと比べてキリスト者の特徴は何でしょうか。多くの場合外から見る限り、あまり違いはないように見えるかも知れません。しかし、本質的に大きな違いがあるのです。それは、キリスト者はみな新しく生まれ変わっていることと、イエスの愛の性質が与えられていることです。だから、キリスト者は互いに愛し合うことができるのです。それはイエスのご命令でもあります。

 I. キリスト者は互いに愛し合うべきである
  ユダが暗やみの外に出て行き、イエスは、「今こそ人の子は栄光を受けました」(31節)と宣言されました。イエスが栄光を受けるのは、ご自分が十字架にかかられて、死なれることを指しますが、すでにその救いのみわざは完成し、栄光を受けられたかのように、過去形で表現しています。また、イエスと御父とが互いに栄光を与え合い、受け合う関係にあることも、イエスは表現しておられます(32節)。このような時にイエスは弟子たちに新しい戒めを与えられました。これは、これまでの古い戒めに代わるものです。これまでは同胞イスラエルにだけ向けられた愛であり、外国人にまで向けられたものではなかったのです(レビ19:18)。イエスは、この愛に大きな特徴を与えました。それは「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」ということです。イエスの愛は、弟子たちおよびすべての人の救いのためにご自分のいのちを与える愛、犠牲的な愛です。この世の愛は、お返しを求める人間的な愛です。イエスは、ご自分の愛で互いに愛し合うことを求められました。

 II. 世の人々はイエスの弟子であることを認める
 弟子たちが互いに愛し合う行為は、早くも初代教会において実現しました。ペンテコステの時からイエスを信じる者たちは、迫害の中で共同生活を始めました。彼らは互いに持っているものを分け合い、互いに助け合いながら、困難の中で、福音を宣べ伝えました。彼らはイエスの教えに従って生活したのです。彼らの生き方は、当時のこの世の人々の生き方と非常に違っていました。それは、使徒たちに続く教父たちのひとり、テルトリアヌスがその『護教論』の中でいみじくも言ったとおりです。「見よ。彼らはいかに互いに愛し合っているか」。「見よ。彼らは何と互いのために進んで死のうとしていることか」。反対に当時の人々は、互いに憎み合い、互いを殺そうとしていたからです。当時の人々も今日の人々も、教会の中で互いに愛し合っている兄弟姉妹たちを見る時に、自分たちとの大きな違いに気づくに違いありません。その違いは、キリスト者はイエスの弟子だからです。私たちも互いに愛し合いましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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