礼拝説教

2013年12月22日

「救い主イエス・キリストを礼拝する」
マタイの福音書 2章1〜12節

 本日、私たちはクリスマス礼拝をおささげできることを嬉しく思います。今朝は、マタイの福音書によりマリヤからお生まれになったイエス・キリストが礼拝されるべき方であることを、3つの面から見て行きましょう。

 I. 神が人となって生まれた方を礼拝する
 主イエスは今から2013年前の誕生と一般に考えられますが、正確には紀元前4-6年ごろ、ユダヤのベツレヘムという小さな町でお生まれになりました。主イエスは歴史のだだ中に入ってこられ、確かに歴史上の人物としても存在されたお方です。主イエスのお誕生がどんなに重要な出来事かは、紀元前(B.C.)と紀元(A.D.)に歴史が二分されていることでもわかります。一般にイエスは四大聖人の一人に数えられていますが、イエス様は神が人となった唯一のお方です。それゆえ外見的には完全な人であり、私たち人間と区別がつかないこともありました(マタイ16:13-14参照)。しかしイエスは罪のないお方です。罪のないお方が人となった理由は、十字架にかかって私たちの罪を取り除くためでした(ヨハネ1:29、ヘブル2:14-17)。私たちは、神が人となって生まれた方を礼拝するのです。

 II. 王として生まれた方を礼拝する
 マタイの福音書の書き出しが「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」で始まっているのは、大変重要なことです。イエス様は、アブラハムの子孫であるユダヤ人として、またダビデの家系を継承する王として、お生まれになりました。東方の博士たちが言った次のことばは正しかったのです。「ユダヤ人の王として、お生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました」(2節)。ヘロデ王が調べさせて、民の祭司長たちや学者たちが答えた6節のことばは、ミカ書5:2からの引用です。それは、主イエスが人々を治める王としてお生まれになったことを明らかにしています。しかし最も大切なことは、イエスが神の国の王として来られたことです。イエス様は神の国の王として主を信じる私たちを支配し、治めておられる方です。私たちは王として生まれた方を礼拝するのです。

 III. 神として生まれ方を礼拝する
 東方の博士たちは、再び前に見た星に先導されて、幼子イエスのおられる家に入ることができ、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝みました(11節)。博士たちは、幼子がヘロデ王に代わるこの世の王ではなく、人々の魂を支配される王として、神として認め、信じ、畏れと喜びをもって心から礼拝したのでしょう。また、大きな犠牲を払い、危険な旅をして持って来た、きわめて高価な宝物である黄金、乳香、没薬を宝の箱から取り出して贈り物としてささげました。私たちも、神の御子としてお生まれになった救い主イエス様に心からの礼拝をおささげしましょう。そして罪のないお方が人としてお生まれになり、贖いの小羊として犠牲になってくださったことを感謝し、王の王、主の主として喜んで従って行きましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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