主イエスは、ご自分の十字架と復活について、すでに最初の受難予告の中で取り上げています(マタイ16:21)。しかし弟子たちは、十字架のことも復活のこともまったく理解できませんでした。この二階座敷での講話で、イエスはよみがえりについてわかりやすく語っています。今日の聖書箇所からその意味について学びたいと思います。
I.よみがえりは弟子たちのところに戻って来ることである
これまでイエスが話されたことで、弟子たちは愛する師が自分たちの所から去って、御父の所へ行ってしまうと思い、心は悲しみでいっぱいになっていました(16:6)。しかしイエスは、「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません」(14:16)と約束してくださいます。それは、イエスがもう一度戻って来るからです。戻ってきたら、弟子たちはイエスにお会いできます。それは、イエスが死からよみがえって生きることです。それ故に、弟子たちも生きるのです(19節)。この時弟子たちはその真の意味を理解できなかったでしょう。彼らは、十字架にかかってイエスが死ぬことが、どうしても受け入れたくなかったからです。従って、十字架の先にあるイエスのよみがえりについても、彼らの理解を超えていたのです。弟子たちが復活のことを本当にわかったのは、イエスがよみがえって、弟子たちに現れた時です。イエスは前もって、ここで弟子たちに真理を明らかにしたのです。
U. よみがえりは御子と御父との関係を明らかにする
イエスのよみがえりは、イエスが確かに神の御子キリストであることを証明した重要な出来事です。イエスがよみがえったことによって、イエスがこれまで弟子たちに語ってきたとおりに、御父から遣わされた方であることが証明されました(11:42参照)。またイエスは、よみがえることによって生きておられること、従って死に打ち勝ったことがわかったのです(11:25参照)。イエスと父なる神との関係は、どんなにイエスがていねいに教えても、弟子たちの理解を超えていましたが、よみがえりの主が彼らの前に現れるならば、「わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかる」(20節)のです。このように御子と御父との深い関係や御子と弟子たちとの間の霊的なつながりなども、イエスのよみがえりによって、弟子たちは本当にわかるのです。もっともさらに完全な理解を得るためには、ここで語られている「助け主・聖霊」を受けなければなりませんが。このようにイエスのよみがえりの奇蹟は極めて需要なのです。 |