愛するイエスが自分たちの所から去って行ってしまい、もうお会いできなくなるかと思うと、弟子たちは本当に悲しく、心さびしく思ったことでしょう。これまでにイエスは、ご自分が御父のみもとへ行くことによって、「助け主・聖霊」が送られることとご自分の平安を残すことを約束されました。今日の箇所でイエスは、ご自分が御父の御許へ行くことについて、さらに次のことを語られました。
I. 弟子たちがイエスを信じるようになる
28節は、イエスが18-19節で述べたことを指しています。イエスは十字架にかかるために、彼らの前から見えなくなりますが、死んで3日目によみがえって、弟子たちの所に戻ってきます。ご自分の生きておられる姿を弟子たちに見せ、再び彼らの所から去って御父の御許に行きます。こうして、十字架と復活、続いて昇天という一連の贖いのみわざが完成して(最終的にはペンテコステの聖霊の降臨が伴いますが)、イエスが誰であるかがはっきりとわかり、弟子たちはイエスを主であり救い主である方として信じるようになります。そのことをすべて見越して、イエスは前もって弟子たちに語ったのです(29節)。しかし、彼らはこの時には信じることができませんでした。よみがえりのイエスが弟子たちの前に現れ、次に聖霊が下ってはじめて、イエスについてすべてが分かるのですから。
II. この世の支配者が敗北する
また28節後半でイエスは、ご自分が御父の御許へ行くことを弟子たちは喜ぶべきであると言っています。それは御父はイエスより偉大な方だから、というのですが、本質的にはイエスは御父と同じく神性をもったお方、神です。イエスが人となって来られた間、ご自分を低くされたので、このように言われたのです。イエスが十字架にかかり、よみがえるのを最も恐れていたのは、この世の支配者サタンです。この救いのみわざが完成すれば、すべての人は、罪が赦され、死に打ち勝ち、御父の御許へ行くことができるようになるので、サタンはイエスに敗北してしまうのです。しかし、世を支配する者は、そのことを知りつつ、なおイエスを捕らえるために間もなくやって来ます。しかし、「彼はわたしに対して何もすることができません」(30節)と言われるとおりなのです。イエスは勝利者です。イエスを救い主と信じ、心から従って行きましょう。 |