この世には多くの宗教があります。特にわが国には、八百万の神々があって、宗教人口は実際の人口より多いと言われています。確かに私たちの周りの人たちは、複数の神々を信奉していて、時と場合に応じて神々を選び、拝んでいます。このように人々が神々を選んでいますが、私たちの信じている御父と御子イエスの場合は違います。
I. イエスが弟子たちを選んだ
イエスの弟子になった者たちの中には、バプテスマのヨハネの弟子だったアンデレやヨハネがいました(1:40)。恐らくアンデレの兄弟ペテロやヨハネの兄弟ヤコブもバプテスマのヨハネの弟子だったことでしょう。彼らはイエスを新しい先生として選んだのでしょうか。また、他の弟子たちもそうなのでしょうか。実は違うのです。イエスこそ彼らをご自分の弟子として選んだのです。ヨハネの福音書には、イエスが宣教活動を始められて直ぐに、次々に弟子たちに会い、彼らを召しておられる様子が生き生きと記されています(1:42以下)。表面的ではなく、深いところで、言えることですが、弟子たちがイエスを師として選んだのではなく、イエスが弟子たちを選んだのです(6:70参照)。この事実は、今日の私たちキリスト者にも当てはまります。私たちは八百万の神々に別れを告げて、一つの宗教であるキリスト教を選んだように思うべきではありません。イエスご自身が私たちを選んでくださったので、イエスを救い主と信じることができたのです。
II. イエスが弟子たちを任命した
イエスが弟子たちを選んだのは、彼らが使徒としての働きに任命するためでした(マルコ3:13-19)。弟子たちはイエスのもとで訓練を受け、イエスの復活の証人として福音を全世界に宣べ伝える使命が与えられました(マタイ28:18-20,
使徒1:8)。このように立てられた弟子たちは、ペンテコステの日から福音を宣べ伝えましたが、彼らの働きは実に多くの実を結ぶものでした。それは彼らの福音を聞いて、信仰に入った者がいつまでも信仰にとどまり、すなわちぶどうの木であるイエスにとどまり、豊かな実を結び、その実がいつまでも残るのです。これは御霊の実を指していると言えるでしょう。こうして弟子たちの数は増え、使徒の働きに見るように、教会が次々に建てられていったのです。そのような弟子たちにとって必要なことは、祈りです。イエスはここで弟子たちの祈りに御父が応えてくださることを約束してくださいます。だから弟子たちは心強いのです。これは私たちへの励ましであり、勧めです。私たちも必要な祈りをささげていきましょう。 |